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幻の?公衆電話・MC-1Pを追え!

※(16/11/30追記)現在、なんとこのMC-1Pは撤去されてしまったとのことです…

「またスーパーめぐりじゃないのかよ」という声が聞こえてきそうですが…すいません。番外編です。

今回追いかけるのは「公衆電話」。え?しばらく使ってない?

…ずいぶんとご無沙汰な方も多いかもしれませんが、公衆電話といえばだいたいの人がこんなのを思い出すんじゃないでしょうか。

おなじみ緑色のカード式公衆電話。型番は「MC-3P」といい1987年頃に登場した機種です。

(MC-4Pという電話ボックス向け?の下部が長くなったモデルも存在しています。)

しかし、テレホンカードの登場は1982年。MC-3Pより前にもカード公衆電話は存在していました。

…そう、それが今回紹介する「MC-1P」なのです。

どっかにいい資料は無いかなと探していると、なんとKinKi Kidsの名曲「硝子の少年」のPVにMC-1Pが出てきてました。

受話器の大きさとの比較からもわかるように、かなり大型の筐体。これが初代カード公衆電話・MC-1P。

90年代頃までは結構各地に残っていました。四角いボタン。

大きな本体のため、ダイヤルキーは右下についていました。中央に操作方法が書かれています。

…しかし、現在このMC-1Pを街中で見ることは出来ません。

どうも、偽造テレホンカードへの対応が難しかったらしく、次々とMC-3P、4Pへと置き換えられたようなのです。

もう実物なんて見れないんだろうなぁ、と思っていたのですが…

道ばたに置かれた一見普通の電話ボックス。…ん?

!?

明らかにこの巨体は…

というわけで、ここに「MC-1Pへ逢いにいく旅」が幕をあけたのでした。

※16/11/30追記:しつこいですが、撤去済みとのこと…残るは長崎の個体のみでしょうか。

このMC-1Pが何故か残っているのはここです。近すぎてわかりづらいですね…

ここまで引けばわかりやすいでしょう。

そう、青森県。住所で言えば青森県三戸郡新郷村戸来、十和田湖のすぐ近く。

「迷ヶ平」というちょっと不気味?な名前の場所にあります。

ルートは確認しました。それでは、いざ出発!

津軽国一宮、岩木山神社に交通安全をお祈りしたら、目指すは130km先の十和田湖・迷ヶ平。

その前にイオンモールつがる柏に寄り道。(イオン柏の記事はこのときの写真です)

そんなことしていたらすっかり17時30分をまわってしまいました。

案の定、十和田湖へとついた頃には既に真っ暗。街灯も無い道を、ヘッドライトで照らしながら進みます。

すると、暗闇の中に1つの光が…

!!

ありました。こっちを見つめる巨体。明らかにMC-1Pです…!

しかし、そこに貼られていたのはこんな張り紙。

「MC-1Pで実際に通話する」という夢は断たれてしまいました…

それでもボックス内には蛍光灯が明るく灯り、MC-1Pは健在ぶりをアピールしてくれていました。

ちょっとバランスが悪そうなような…独特のスタイルをしています。懐かしいという人も多いんじゃないでしょうか。

メインパネル部分。本体がでかいのでキーが小さく見えます。

テレホンカードと100円、10円が使えるという現在の公衆電話とも遜色ない装備。ただでかいです。

窓の中には赤いランプが灯り、「カードも使えるよ」と教えてくれています。

そんなMC-1Pのアピールもむなしく、電話線が切れちゃってるわけですが…本体はまだまだ元気なようです。

広々とした正面パネルを活かし、中央には大きく操作方法の説明が書かれています。

この注意書きは製造時期で何種類かあるようなのですが…本体が絶滅状態なので比べる手もありません。

テレホンカード返却口は下にひっそりと。

下部分にはコインの返却口。

銘板。「MC-1PN」というのが正式型番のようです。

昭和61年3月製造。MC-1Pでは比較的後期のものでしょう。

公衆電話に行列ができていた、バブルのあの頃が思い出されるようです。

青森の山奥にひっそりと生き残るMC-1P。わざわざ会いに行った甲斐がありました。

…にしても、なんでここだけ残ってるんでしょうね。

「今度きた時は電話かけられればいいな」と思いながら迷ヶ平を後にしたのでした。

追記:なんと長崎のペンションにも現役のMC-1Pが残っているそう。まだ他にも眠ってたりするんでしょうか…

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