清里高原に残る"バブルの幻"を見に行ってきた
時は80年代後半・バブルの頃「高原の原宿」といわれ大量の人で賑わっていた清里高原。
駅前にはカラフルな色使いのペンションやファンシーショップが立ち並ぶ別世界でした。
今はどうなってるんだろう…というわけでそんなバブルを探しに清里へ。
※今回のレポートは非常に偏った写真で構成されています。現在の清里も元気な部分はたくさんあるので誤解なきよう。
ディーゼルカー2両がのんびりと走るJR小海線。
昔はもっと古い車輛だった気がしますが今の車輛は割と新しそうでした。
やってきました清里。山梨県です。
国鉄をJRに直した感じの標高比べ。結構高い場所なんですね。
夏は避暑地として、冬はスキー客で賑わっていたはずです。
清里駅です。おもしろい形。
ん?なんか綺麗になってますね。もうバブルのころのあれは抹消されたのでしょうか。
なんか機関車が展示されてたり。この汽車はC56型の149号機、1938年製。
放置されていて悲惨な状態だったのを復活させたそうです。
かつては冒頭のディーゼルカーの代わりに小海線を走っていました。
清里の歴史が書かれた新しい看板。
あんなに大ブームだったのにバブルの事については触れられていません。
やっぱり無かった事にされてるんでしょうか。
とりあえず駅前をぶらぶらしてみましょう。ちょっとあの時の名残りっぽい建物が。
ちなみに何を血迷ったか3月の変な時期に来たため人も自分たち以外には全くおらず寒いです。
さらに歩いていくと…あ!あ!残ってましたよ!
記念撮影する人で長蛇の列が出来ていたらしいミルクポット。
バブルの清里を象徴するかのような建物です。
赤い三角屋根の家。
こういう現実離れした建物たちが軒を連ねている光景はまだ健在でした。
こっちはファンシーブティックだそうです。
うーん、当時のまんまです。
ちなみに自販機すら空っぽなところからもこの時期清里に来る人の少なさが分かるでしょう。
で、さらに奥へと進んでいくと…そこには想像を絶する光景が。チャンネルはそのまま。
高台にあった「清里ひろば(ワンハッピープラザ)」が…
廃墟と化してます。ああ無情。
売物件。買い手は見つからないようです。
中央にそびえる時計台が墓標みたいで切なさを煽ります。
奥にもまだ建物が残っていました。もちろん全て空き店舗…
一応下に行けるようですね。とりあえず行ってみましょう。
フードコート的な感じになっていました。
ここでチュロスやらピザやら食べるのがおしゃれだったあの時代。
床の木が放置で腐っているところがあるので近寄らない方が無難です。さっさと引き返しました。
うーん、見れば見るほど悲惨な現状。
急激に発展した施設は衰退も急激だったようです。
バブルっていちいち三角屋根が好きだなぁ…
ここの荒廃っぷりはそのままバブル崩壊からの年月の長さなんですね。
ああ、バブルは遠くになりにけり。
もう掘り起こすのは止めて!って声も聞こえてきそうですが…
今度は下からさっきのワンハッピープラザを観察してみます。
ここから階段を上がるとフードコート、そこを抜けてさらに上ると先ほどの時計台広場に出ます。
こっち側の建物も全て売物件でした。いっその事バブル博物館とかにするのも…
でっかいきのこ。これも当時の「ファンシー」なノリでしょう。
カタツムリ。怖い。
建物が廃墟になっても笑顔な木。
徹底的に三角形の意匠。
パステルカラーの建物が多いだけに現在の状況は余計寂しくうつります…
駅前地図。ワンハッピープラザが残ってます。
商店が建ち並んでいたのはほんの一角でしたが当時の熱狂ぶりは半端ないものでした。
あれはなんだったんでしょうか。本当に一瞬の幻でした。
やっぱり街は時間をかけて出来るもの。
急激に発達した"高原の原宿"は上辺だけだったのかもしれません。
(この"ファンシー化"を疑問視していた地元の方も多かったと聞きます。)
錆だらけの状態から復活した駅前の機関車のように清里の街も生まれ変われるのでしょうか。
なんか落ちの無い記事になってしまいました… あ、ソフトクリームは変わらずおいしかったですよ!
※今回の記事の拡大画像はここで見ることが出来ます。
2013/2/16作成開始
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